がん治療.com おすすめコンテンツ

心理状態の遷移
告知をされてから、がん患者の心理はどのように遷移するのか?
ストレス解消法
がん治療は大きなストレスとなりますが、自分に合ったストレス解消法を見つけることが大切です。
医師との付き合い方
がん治療するうえで、医師と上手に付き合っていくには?
  • がん治療.com コンテンツ一覧
  • がん治療.com 用語集

戦国武将と癌:第3回 肝臓癌

さて第3回目のお題は「肝臓癌」。肝臓は沈黙の臓器と言われるほど我慢強いので肝臓癌で亡くなったと断言できる武将はおりません。が、おそらく「肝疾患」が原因で死去したと思われる武将もいます。後半に出て参りますのでしばしお待ち下さいませ。

肝臓の働きをおさらいしましょう。

肝臓は腹部の右上にあり重さは1~1.5kg、内臓の中では最大の臓器ですがさてどんな仕事をしているのでしょうか?肝臓をいたわるために「休肝日」って言葉もあるからアルコールの分解?はい、それも仕事の1つです。順をおって見ていきましょう。

・消化酵素「胆汁酸」を作る。
胆汁酸は脂肪の吸収を助ける酵素ですが、肝臓で作られます。胆とついておりますが、胆嚢は胆汁を作る臓器ではなく貯蔵しておく袋です。
・糖を蓄える
肝臓は糖のリザーバーとして活躍しております。余分なグルコースをグリコーゲンとして蓄え、必要に応じてまた糖に戻して血糖値を調整します。そのため肝臓が悪くなると血糖値の上下変動が大きくなります。
・脂質の代謝
脂肪を分解しエネルギーにします。
・コレステロールを作る
・アルブミンなどのタンパク質を作る
・アルコールや薬物を分解する。
他にも細かい仕事がありますが長くなるのでこの辺にしときます。あまり目立ちませんがたくさんの仕事をしていることがお分かり頂けたでしょうか。

肝臓癌の原因

冒頭にアルコールがうんぬんと書きましたが、肝臓癌の原因で最多のものは「肝炎ウイルス」の持続感染(慢性肝炎)です。日本では肝細胞癌の原因の90%はウイルスによる慢性肝炎です。(特にC型肝炎は慢性化しやすいため、内訳を見ますとB型肝炎20%、C型肝炎80%となっております。)残りの10%がアルコール性肝炎や脂肪肝、薬物性や自己免疫性肝炎などとなっております。肝臓が慢性的なダメージを受ける病気を母体に肝臓癌が発生するんですね。
 C型肝炎を例に取りますと急性肝炎→(7割の方が)慢性肝炎→肝硬変→肝臓癌と進行していき、年数がたつほど発がん率が上昇していきます。B型肝炎も慢性化した場合は似た経過をとりますが、肝硬変以前でも癌が発生することもままあるので要注意です。

慢性肝炎の治療は進化しております。

慢性肝炎だと発癌リスクが高い!・・・しかし裏を返せば慢性肝炎を治療すればリスクがぐっと下がるということなのです。C型肝炎の治療について、少し前までは入院してインターフェロンの注射をして・・・と費用も時間もかかっていましたが、飲み薬だけでの治療が我が国でも行えるようになりました。とても高価な薬ではありますが、C型肝炎の治療に関しましては所得に応じた医療補助制度がありますので、健診などでウイルス肝炎を指摘された方は、ぜひ病院や自治体の窓口で相談して下さい。肝炎ウイルスに感染しているかどうかの検査も自治体によっては市町村の健康診断の項目として無料または安価に行える場合がありますし、血液で簡単に行えますのでかかりつけ医に相談するのもよいでしょう。

  万が一肝臓癌になった場合でも、早期であれば治療の選択肢も多くあります(←ここで治療にリンク)。肝臓は再生能力が高く、病気があっても症状が出にくい臓器です。腹部エコーなどで定期的な検査を受けることをおすすめします。

お酒と言えば福島正則

福岡県の民謡「黒田節」、一節は“酒は呑め呑め呑むならば 日の本一のこの槍を 呑みとるほどに呑むならば これぞまことの黒田武士(くろだぶし)”ですね。これは黒田長政の家臣、母里多兵衛が大盃に盛られた酒を飲み干し、見事に日本一の槍である日本号を手に入れた逸話に基づくわけですが、では槍をとられたお相手はと申しますと「福島正則」でございます。
福島正則は豊臣秀吉の母方の従兄弟にあたり、その縁で秀吉の小姓として仕えはじめました。戦に出ては勇猛な武将で、秀吉が柴田勝家を破った賤ヶ岳の戦いでは一番槍の活躍で5000石を与えられました。その後豊臣政権下で清洲24万石の大名となりますが、石田三成と仲違いをし、関ヶ原では東軍につき安芸広島藩50万石の領地を得ました。しかし、豊臣恩顧の正則を警戒した幕府に色々と難癖をつけられます。1619年には、広島城の無断修繕を咎められ川中島と魚沼4万5千石に移封されてしまいます。正則は息子に家督を譲り出家しますがその2年後に息子が早世。正則自身は1624年に64歳でその生涯を閉じています。晩年の記録が少ないために死因はわかりませんが、アルコールで酩酊して家臣を切腹させた話や、母里多兵衛へのアルコールハラスメントを考えると肝臓を壊して亡くなった可能性も大いにあります。

西軍を裏切った小早川秀秋。死因は大谷吉継の亡霊ではなく・・・

小早川秀秋は秀吉の甥にあたりますが、小早川家へ養子に出されてしまいます。関ヶ原では徳川家康と内通し西軍のはずが東軍へ。結果、西軍は敗れ大谷吉継は彼の陣に向かって「人面獣心なり。三年の間に祟りをなさん」と言い残し切腹をしたという伝説があります。それから2年後、秀秋は21歳の若さで亡くなったため人々は吉継の怨霊がとり殺したのだと噂しました。実は秀秋、14,5の頃から大酒家で18歳の時の診療記録に「酒疸(アルコールによる黄疸)」とあり、19歳の時の記録には「酒渇(飲酒によるのどの渇き)」や血尿といった記載があります。秀秋の死因は怨霊ではなく不摂生のようですね。


肝がんの検査・治療はこちら

馬渕 まり プロフィール


広島県生まれ。
秋田大学医学部卒業、同大学院修了。
医学博士、内科認定医、日本糖尿病学会専門医、そして危険物取扱者乙種4類。現在は愛知県の病院に勤務。
著書に戦国診察室 がある。